物袋勇治の生い立ち!母親(保育士)の影響が事件につながった?

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2014年に埼玉県富士見市のマンションで預けていた男児が亡くなった事件で逮捕されたベビーシッターの物袋勇治容疑者。

以前にも預けて戻ってきた子供に傷があったため、預けないようにしていた男だったが、名前を変えて登録していた。

子供を預けた母親は別人だと思ってベビーシッターを依頼してしまったとのこと。

自称保育士と名乗っていた物袋勇治はどのような環境で育ったのだろうか。

この記事では、物袋勇治の生い立ちと、母親(保育士)の影響についてまとめてみました。

物袋勇治の生い立ち

物袋勇治は、横浜市内で自営業を営む父親と、保険の外交員のかたわら、夜は保育所で働く母親との間に育ちました。

コミュニケーションが苦手だったようで、小・中学校と学校には居場所はなかったようです。

中学の同級生は

「会話はするんですけど、円滑にコミュニケーションを取ることができない子で、いじめられていたわけではないんですが、周囲からも浮いていましたね。友達もほとんどいなかったと思います」

と人物像について語っています。

中学を卒業後は、高校には通わず調理関係の専門学校に進むが、派遣や配送などの職を転々としていたという。

ベビーシッターは母親(保育士)の影響

物袋勇治は2013年から家賃8万円、3LDKのマンションの一室を自宅兼保育所として使い行っていた。

ベビーシッター紹介サイトには、「保育歴5年、調理師」「子供たちと仲良くなりたいです」「子ども達の笑顔にたくさん元気をもらい、毎日楽しく遊ばせてもらってます」と子供好きをアピールしていましたが、物袋勇治の父親は子供は好きじゃないと話していた。

なぜ、ベビーシッターをはじめたのか調べてみると母親の影響があったようです。

物袋勇治は母親との関係は非常に悪く

「母親は物袋容疑者に向けて“ぐずぐずすんな、さっさとしろ! こののろま! バカ!”とよく怒鳴っていたんです。人前でも所構わず、ですよ。いつもイライラしているような人でした。きっと彼は、そんな母親に不満を持ち、対抗するように敵対心を表に出すようになっていったのではないでしょうか」(別の近隣の住民)

と母親のことを嫌っていたようです。

嫌いな母親が保育士をしているのに、なぜ同じ道を選んだのか?

物袋勇治を知る人物は

「保育の知識なんて持ち合わせていなかった物袋容疑者がその道を選んだのは、反発する母親を見て、こんな母親でも保育の仕事ができるのなら“自分にもできるはず”という幼稚な発想からだったんだと思いますよ」

と母親ができるなら自分も出来ると思いベビーシッターを選んだようです。

この家族関係が、歪んだ性格に育ててしまったのではないでしょうか。

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