舛添要一都知事の嫁・雅美さんの経歴!実家がヤバイ!

嫁・雅美さんは結婚してからずっと舛添要一さんの政治活動をサポートし続け都知事になった今もサポートしています。

舛添要一都知事といえば、政治活動にだけでなくバラエティーやワイドショーで見せる歯に衣を着せぬ毒舌で注目をあび、2度の離婚、3度の結婚と女性遍歴でも注目されています。

最初の結婚相手は留学時代に知り合ったフランス人、2人目は官僚時代の片山さつきさん、そして現在は元私設秘書の雅美さんと結婚して一男一女をもうけています。

そんな今の舛添要一都知事の支える嫁・雅美さんに迫ります。

嫁・雅美さんの経歴と馴れ初め

2人の出会いは、舛添要一都知事がまだ東京大学で働いていたときでした。

それは、1989年春、知人の紹介で、当時東大助教授だった舛添氏の下で働くことになったのが、嫁・雅美さんでした。

はじめて会ったときの印象について、

「働き始めてすぐに学生たちから『舛添先生って離婚したみたいね』と聞きました。そしてその年の6月に大学を辞め、独立しました。最初私も年齢が離れていて(15歳)恋愛対象ではないと思ってましたし。むしろ、離婚して大学も辞めて『この人、人生に負けている。嫌だわ、こういうおじさん』って」

と思っていたそうです!笑

しかし、舛添氏の猛烈なアピールに根負けしたかたちで交際をスタートさせたとのこと。

その後、約7年間の交際を経て、1996年に結婚します。

舛添氏は現在も、嫁・雅美さんのことを好きで、

「16歳年下の妻の雅美です。朝晩ごはんを作ってくれていますが、ゴミ出しは私の仕事です。妻のおかげで庶民目線が養われています。選挙戦は夫婦ともども頑張ります」

と、コメントしています。

嫁・雅美さんは創価学会員?

以前、デヴィ夫人がテレビで次のように発言しています。

「舛添さんの奥様は、なんか大きな宗教団体の幹部だということですけど、これもね、まずいと思いますよ。宗教と政治はやっぱり別にしなきゃあいけません。」

この宗教団体ですが、創価学会と言われています。

その証拠として、公明党のホームページに嫁・雅美さんの応援コメントが掲載されています。

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嫁・雅美さんのプロフィール

名前:舛添 雅美(ますぞえ・まさみ)
生年月日:1964年1月6日、
出身地:神奈川県湯河原町
最終学歴:聖心女子大学文学部卒

1989年に美術館学芸員として働きながら、東大助教授だった舛添氏の私設秘書を務め、96年に結婚。

嫁・雅美さんの実家は資産家

嫁・雅美さんの実家は、昔から資産家として有名のようです。江戸時代には、福浦から伊豆多賀あたりまでの数十キロの範囲のすべての土地を持っていたという話があります。

実家の敷地内には蔵まであるモダンな住宅ということで、雅美さんは名家のお嬢様なのでしょう。

政治資金のことで問題となっている舛添要一都知事ですが、公用車で通ったていた湯河原の別荘は嫁・雅美さんの実家の一部という可能性も考えられます。

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舛添要一都知事の元妻について

舛添要一都知事は、過去に2度離婚していて、今に嫁・雅美さんは3回目の結婚相手です。

1人目の結婚は1978年、相手はフランス人女性でした。

出会いは、舛添氏が東大法学部政治学科を卒業後、パリ大学研究所やジュネーブ高等国際問題研究所の研究員を歴任したヨーロッパ留学中のとき。
帰国後の1979年、舛添氏は31歳の若さで東大教養学部の助教授に就任しますが、1981年に離婚。

2人目の結婚は1986年、こちらは有名ですが、相手は片山さつき議員です。

大蔵省在職時に舛添要一都知事とお見合い結婚しましたが、1989年に離婚しています。