4度目の挑戦でエベレスト登山を成功した芸人のなすびさん。
2013年の初挑戦は天候悪化により、残り標高100メートル地点で下山。2014年は雪崩事故で断念し、2015年はネパール大地震で被災した。今回はクラウドファンディングを通じて資金を調達しており、実に4度目の正直でした。
エベレスト8848mの山頂です!青空!https://t.co/vGNzGduxGP https://t.co/qKsN57cev3
— なすび (@hamatsutomoaki) 2016年5月19日
なすびさんといえば、日テレのバラエティ「進ぬ!電波少年」の企画「電波少年的懸賞生活」に出演、そのインパクトのある顔で話題になりました。
元々は芸人だったようですが、現在の肩書きは何なのでしょうか。
芸人? 登山家?
また、なぜそこまでしてエベレスト登山に挑戦したのか調べてみました。
なすびのプロフィール
長い間テレビに出演することのなかったなすびさん。知らない人が多いと思いますのでプロフィールを紹介します。
芸名:なすび
本名:浜津智明
生年月日:1975年8月3日
出身地:福島県福島市
学歴:専修大学
芸名は、茄子のような30cmの長い顔に由来。かつては覇王樹(さぼてん)というお笑いコンビを組んでおり、当時は本名の「浜津智明」名義で活動していた。また、コンビ時代に「ダウンタウンのごっつええ感じ」に出演したこともある。元の所属事務所はワタナベエンターテインメント。
『進ぬ!電波少年』への出演で一躍有名になったが、この番組でのイメージが強すぎたこともあり、お笑い芸人としては売れなかった。『電波少年』への出演後は、出身地である福島で冠番組を持ち、ローカルタレントとして活動。一方で、元々の志望だった喜劇俳優としての活動を本格化させ、2002年に劇団「なす我儘(がまま)」を立ち上げ、座長をつとめる。以後は舞台を中心に活動。
引用:なすび (タレント)
エベレスト登頂の理由
芸人として活動していたなすびさんですが、2011年の東日本大震災と東京電力福島第1原発事故後、故郷の福島県でボランティア活動をする中で「福島に興味を持つきっかけにしてほしい」との理由で、エベレスト登山に挑戦することを決意しました。
当初は、「便乗だ、売名だ」と批判や非難の声を浴びたそうですが、
「身近な方々から、少しずつ応援の声が挙がり出し、今日のエベレスト登頂に繋がる事となりました」
と現在は支援する人の声が多くなったそうです。
4度目の挑戦でエベレスト登山に成功したことを振り返り
「エベレスト登頂を目指してからのこの四年間、様々な困難や苦難、悲運や不運にも見舞われ、悔し涙も沢山流しました」
「毎回、もう続けられないと断念を心に決めましたが、その度に福島県を始めとした多くの皆様に支えられ、励まされて、こうして四年の月日を経て大願を成就させられました」
と、故郷・福島のために成功できたことを喜びました。
現在は芸人なのか登山家なのかどっちなのでしょうか?
なすびの現在は登山家?
「進ぬ!電波少年」が終了した後、バラエティー番組からのオファーも相次ぎ、一躍売れっ子芸人となりました。
しかし、そのうちにある違和感が生まれ
「裸でアホなことをやっていたんだからってプロデューサーも期待しますよね。でも、懸賞生活を終えた僕にはなんの武器もありませんでした。面白いこと一つ言えない自分の無力さに改めて気付きました」
と技術が伴っていない自分に悩んでいたそうです。
その後、渥美清に憧れていた高校生のころの自分を思い出し、原点に立ち返ろうと、2001年に役者の道を目指すことを決意します。
芸人から役者になっていたのです。
偶然出場したマージャン番組で獲得した100万円を資金にプロデュース公演を立ち上げ、自身で脚本・演出を手がけたり、舞台にも出演するなど現在は役者と頑張っています。
まとめ
エベレスト登山をやり遂げた今、再び役者として活動していくことになるようですが、今後も、故郷・福島のために活動を続けていくようです。