個性派俳優としてドラマや映画にと活躍している佐藤二朗さん。
最近は映像作品にひっぱりだこですが、俳優キャリアは順風満帆ではなく若い頃にとても苦労しています。
今回は、佐藤二朗さんの若い頃の話、役者をめざしたきっかけについて紹介します。
佐藤二朗の若い頃【学生編】
佐藤二朗さんは1969年5月7日生まれ。愛知県春日井市の出身で、4歳からは愛知郡東郷町で育ちます。
幼少期の佐藤二朗さんは、甘えん坊な性格だったそうです。
以前出演した「ウチくる!?」で以下のようにコメントしています。
佐藤二朗は小さい頃はかなりの甘えん坊で、母親に”300万円と僕どっちが大事?”と聞いていた
引用:価格.com – 「ウチくる!?」で紹介された情報
映画デビューは中学生のとき
中学に入り、NHK児童劇団に所属。1983年に、映画『アイコ十六歳』に出演しています。
映画デビューは早かったのですね。
大学は国立の信州大学
高校卒業後は、長野県松本市にある国立大学の信州大学に進学します。
進学理由について、取材で以下のように話しています。
正直なところ、受験して合格したからというのが本音です。高校時代すごく経済に興味があったわけでもなかったんですが、唯一ひかれたところは、僕が通っていた学部が他の大学の経済学部では2年で勉強することを、3年かけてゆっくり勉強すると言われてたところですかね。
引用:マイナビ学生の窓口
暗黒の20代
役者になりたいという想いはあったようですが、大学では劇団に入ることはなかったのです。
そこで大学1年生のときに、今も残っている『劇団 山脈(やまなみ)』という歴史のある古い劇団でせめてお芝居をやろうかなと思ってガイダンスを受けに行きました。でも厳しそうだなと感じて、結局入らず(笑)。
引用:マイナビ学生の窓口
演劇よりも、大学時代はバイトに夢中になっていたそうです。
バイトは浅間温泉の温泉街の旅館で、背広を着てフロントマンを4年間やっていたとのこと。バイト先の旅館は個性的な人が働いていて、過去に何をやっていたのかよくわからない人が多かったようです(笑)
佐藤二朗さんは、中途半端な学生だったと当時を振り返っています。
佐藤二朗の若い頃【社会人-俳優編】
佐藤二朗さんは大学卒業後、リクルートに就職します。しかし、たった1日で退職するというエピソードを持っています。
1日で退職した理由について以下のように話しています。
就職せずに劇団に入って、役者一本で食べていく勇気がなかった。1日で辞めたのは、今思えば入社式で現実を突きつけられたからじゃないかな。入社して初めて、熱意あふれる皆さんを前に、中途半端な気持ちの僕がやっていけるのかと。働きながら役者をやろうなんて甘い考えだと思い知りました。すばらしい会社に入れたというのに、大馬鹿者ですよね
引用:NEWSポストセブン
その後、役者を目指し2つの俳優養成所に通っていたようですが、劇団員にはなれず再び広告会社に就職するのです。
当時を振り返り
ビッグマウスを承知で言えば、この頃も、僕が世に出たら楽しめる人がたくさんいるはずだと本気で考えていました。でも、現実はそんなに甘くないことも知っています。20代は心がボロボロで辛かった。二度と戻りたくない暗黒の時代です(笑い)
引用:NEWSポストセブン
とコメントしています。
再就職したあとも役者への夢を諦めきれず、27歳のときに養成所時代の仲間と演劇ユニット「ちからわざ」旗揚げし、サラリーマンと演劇を続けていたといいます。
転機は31歳のとき
その後、演出家・鈴木裕美さんに誘われ、劇団「自転車キンクリート」に入団。
大きな転機は31歳のとき。演出家・堤幸彦さんの目に留まり、ドラマ『ブラック・ジャックII』に無名の医師役で出演します。この出演をきっかけに、少しずつ活躍の場が増えていくのです。
佐藤二朗が役者をめざしたきっかけ
中学生のとき劇団に入っていた佐藤二朗さんですが、役者をめざしたのは小学生のときだったようです。
根拠もないくせに、自信だけはあった。馬鹿ですよね。きっかけは小学校4年生の学芸会でした。『お芋がこうして生まれました』という劇で、主役はお芋。僕は脇役で、お芋を引率する猫の先生役でした。なぜか僕の台詞が台本の7割もあって。喋るたびに、客席にいた保護者が笑ってくれたのが嬉しかったんです。昔からドラマも好きで、山田太一さんや倉本聰さんが脚本を書かれた作品をよく見ていました
引用:NEWSポストセブン
小学4年生のときに役者になることを決め、暗黒時代を経て実現したのはすごいことではないでしょうか。
佐藤二朗のプロフィール
- 本名:佐藤 二朗
- 生年月日:1969年5月7日
- 出身:愛知県春日井市
- 身長:181㎝
- 血液型:A型
- 最終学歴:信州大学 経済学部