ファッションブランド「6%DOKIDOKI」プロデューサーを務める増田セバスチャン。
きゃりーぱみゅぱみゅのPV、ライブの美術演出を手掛けるアートディレクターでもあります。
増田セバスチャンはまだ結婚していないのですが、それには過去の壮絶な生い立ちが関係していました。
結婚しない理由と関わっている生い立ちとは何なのでしょうか?
今回は、生い立ちときゃりーの妹?をプロデュースしたと噂になっていたので、そのことについて調べてみました。
増田セバスチャンの生い立ち
今ではきゃりーをプロデュースした人物として有名ですが、過去を調べると壮絶な生い立ちでした。
彼のことをあまり知らない人もいると思うのでプロフィールからご紹介します。
本名:増田ひろし
生年月日:1970年8月7日 現在44歳
出身地:千葉県 松戸市
1995年、原宿に「6%DOKIDOKI」をオープン。
2011年にきゃりーぱみゅぱみゅ「PONPONPON」PVで世界的有名に!
2013年六本木ヒルズでクリスマスツリー製作
2014年サンリオ映画『クルミ割り人形』発表
幼少期は難聴だった
祖母が経営していた呉服店の跡取り息子として生まれます。
父親は、虐待をするような人で、母親は、料理を全くせずに宗教にのめりこむなど育児放棄をするような人だったそうです。
実は増田さんは小学校に上がるまでは難聴で音があまり聞こえなかったそうです。
そんな子供の難聴に両親はは4歳まで気づかず、適切な処置を受けていなかったので、今でも高い音は聞こえないそうです。
うまく馴染めなかった社会生活
小学生のころに難聴は回復したみたいですが、耳が聞こえなかった幼少期の影響で人とコミュニケーションをとることが苦手だったみたいです。
高校卒業後は大阪の専門学校に行きます。
大阪では居酒屋でバイトをしていたのですが、バイト先の店長に「東京がなんぼのもんじゃい」と言われ、大阪の人に恐怖を覚えてしまって引きこもってしまったらしいです。
人生を変えたきっかけ
引きこもっていたときに、ダウンタウンの「4時ですよーだ」をみて過ごしていたそうで、「あのころダウンタウンさんがいなかったら、今の僕はいなかった」と語っています。
もう一つ人生に大きな影響を与えたのは1冊の本でした。
その本は、寺山修二さんの「書を捨てよ町へ出よう」という本です。
内容は、
「本ばかり読んでいないでとにかく町へ出て行動を起こそう。行動を起こさないと何も始まらない人生が始まらない」
というものです。
この本と出会い、行動しないとダメだと思い東京に戻る決心をします。
東京に戻ってから、実験演劇の世界に飛び込み、既成概念を壊すパフォーマンスに没頭しました。
しかし、実験演劇ではその世界でしか評価を得られないと思い、原宿に「6%DOKIDOKI」をオープンします。
最初は売り上げが安定しなかったようですが、ファッション好きの口コミによって人気店になりました。
なぜ原宿なのか?
学生時代によく来ていた場所だったそうです。
「学校になじめなくて、『個性的』と言われるのがコンプレックスだった。だから、原宿に来てたんです。」
と語っています。
その後はみなさん知っているように、きゃりーぱみゅぱみゅとの出会いによってさらに人気になっていきます。
結婚しない理由は?
結婚していてもいい年齢ですが、結婚しないのには幼少期の思い出が関係しているみたいです。
父親からは虐待、母親は育児放棄という家庭環境で育ち、愛情を子供に与えることができるか不安があるようです。
そんなこともあり子供はつくらないと決めているそうです。
結婚も諦めているのかもしれません。
きゃりーに妹?
ネットを検索していると、きゃりーに妹がいると出てきたので調べてみると、増田セバスチャンがプロデュースした「浜田ばみゅばみゅ」のことでした!笑
「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」の番組企画で誕生した浜田ばみゅばみゅ。
「ベストアーティスト2015」できゃりーと共演もしています。
このとき浜田がきゃりのことを「うちの姉です」と話したことに対し、きゃりーはツイッターで「私の妹ちゃんの浜田ばみゅばみゅちゃんと」とツイートしていました。
浜田ばみゅばみゅが妹でいいんですかね?笑