湯川れい子は病気に苦しんでいた!息子と元夫の現在

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ジャズ評論家やラジオのDJとして、エルビス・プレスリーやビートルズなど洋楽を若者にいち早く伝えるなど多くの実績を残している湯川れい子さん。

50年にも及び病気で悩まされていることをご存知でしょうか。

また、2度の離婚を経験するなど壮絶な人生を歩んできています。

そんな湯川れい子さんの病気と息子や元夫について調べてみました。

湯川れい子の病気とは?

湯川れいこさんと病気の戦いが始まったのは、26歳のときでした。

風邪をこじらせて検査を受けにいった際、慢性肝炎と診断されます。
現在の病名では「C型肝炎」にかかっていると診断されたのです。

C型肝炎ウイルスの存在が証明されたのは1989年で、診断を受けた当時は、C型のウイルスは発見されていませんでした。

そのため、診断内容は「非A」「非B」というもので、医師もはっきりとした診断ができない病気でした。

なぜC型肝炎ウイルスに感染したのか?

湯川れい子さんは、21歳のときに急性腹膜炎の手術を受けているのですが、その時の輸血が原因でC型肝炎になったと考えています。

以前はC型肝炎が発見されていなかったので、覚醒剤・麻薬の注射針を共用したり、輸血や注射などの医療行為を介して大勢の人がC型肝炎にかかったと考えられています。

また、日本全国に100万人~200万人の感染者がいると言われており、その中には自分がC型肝炎にかかっていることに気づいていない人もいるようです。

2002年に病気のことを発表

湯川れい子さんは、2002年にC型肝炎に感染するまでのいきさつを発表しました。

治療は、C型肝炎の主な治療法であるインターフェロン療法は副作用があるため受けていなかったようです。

しかし、C型肝炎は肝硬変や肝臓がんに悪化する恐れがあるという医師からの説得を受け、06年6月から週に一度インターフェロン療法を受けるようになります。

そしてこの判断が功を奏します。 2007年の最終検査を受けた際、ウイルスが検出されなかったのです。

C型肝炎を克服したのです。

湯川れい子の息子は取締役

湯川れい子さんには息子さんがおられます。

田村有宏貴(たむらゆうき)さんという方なのですが、実はすごい方だったのです。

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ライブエンターテイメントをメインとした事業を行っている会社、「キョードー東京」の取締役なのです。

しかもこの会社は、ポールマッカートニーの「アウト・ゼアー ジャパン・ツアー」を企画した会社であり、田村有宏貴さんが実現させた人物です。

母親の経歴もすごいですが、息子さんの仕事内容もすごいです。

ポールマッカートニーの来日コンサートは、息子さんのおかげといってもいいでしょう。

湯川れい子の元夫の現在

2度離婚を経験しているそうでうが、元夫はどんなかただったのでしょうか。

最初に結婚した夫はサラリーマンで、小学校6年生のころから湯川れい子さんの実家に下宿していた男性でした。

その方の名前は明らかになっていなく、詳しいことはわかりませんでした。

2度の夫は、田村駿禮さんという方です。

69年にソニー専門の商社を設立し、「SONY」のラジカセを販売する会社の経営者だったそうです。

現在は、株式会社グッドカンパニーの代表を務め、ダイヤモンドビジネスをしています。

まとめ

湯川れい子さんの病気と息子や元夫についてご説明しました。知れば知るほど壮絶な人生を送っている方です。現在はいろいろな分野で活躍していて、まだまだ湯川さんの活躍から目が離せないでしょう。