1975年「弟よ」で歌手デビューした内藤やす子さん。
翌1976年の「想い出ぼろぼろ」が大ヒットし、新人賞を受賞するなど輝かしい経歴をもつ歌手です。
しかし、2006年に病気(脳出血)で倒れてしまいます。そんな、内藤やす子さんを支えたのは夫のオーストラリア人英会話教師でした。
その後、リハビリを続け歌手活動を再開するまでに回復しましたが、現在はどのような生活を送っているのでしょうか。
内藤やす子さんを知らない人が多いと思いますので、
- プロフィールと経歴
- 病気と夫の存在
- 現在の生活
について調べてみました。
内藤やす子のプロフィールと経歴
本名:内藤泰子
生年月日:1950年9月28日
出身地:神奈川県横浜市
血液型:A型
学歴:豊島岡女子学園高等学校中退
小学校4年生のときに「ジミ・ヘンドリックス」を聴いて音楽に興味を持ち、17歳のときにアマチュアでロックバンドを結成しボーカルとして活動していました。
24歳のときにスカウトされ、1975年に弟よ」で歌手デビュー。
https://t.co/lyMLnFL37S
1976年(昭和51年)1月8位
弟よ
内藤やす子
夜ヒットより pic.twitter.com/b6sBlpc93O— 中村 俊之 (@nijitono7) 2016年1月9日
1976年の「想い出ぼろぼろ」で大ヒットし、日本レコード大賞など、この年の新人賞を総なめします。
しかし、1977年に大麻不法所持で逮捕され、芸能活動を休止していました。
1984年に活動を再開し、発売した「六本木ララバイ」がヒット、再びヒット歌手として活動を続けています。
1977年の逮捕ですが、この年は、岩城滉一、井上陽水、桑名正博、研ナオコ、美川憲一など多くの歌手が大麻所持で逮捕されビッグニュースとなりました。
発症した病気は脳出血、闘病生活は
内藤やす子さんは2006年5月28日、福島県でディナーショーを行っている最中に倒れ、病院に救急入院。
病気は、脳出血でした。
脳出血の原因は、20歳のころからの私生活にありました。連日のようにバーボンを1瓶、たぼこを3箱以上吸うなど乱れた私生活を送っていた身体は、ガマンの限界だったのでしょう。
約1ヵ月の入院生活の間、薬剤投与の治療を受ける闘病生活をしていたようです。
退院後は自宅療養でリハビリをするなど歌手活動復帰に向けて頑張っていたようです。その支えとなったのが夫のオーストラリア人英会話教師でした。
内藤やす子さんは、5年間も夫以外の人を思い出せないほど重度の記憶障害だったようです。現在は記憶障害は治っているようですが、「今も右半身マヒが少しありモノが二重に見える。サ行がうまく言えない」の後遺症が残っているようです。
内藤やす子の夫はオーストラリア人英会話教師
夫は、オーストラリア人の英会話教師をしています。1995年に結婚しているようです。
年齢差は21歳で、内藤やす子さんの年下です。
名前は、マイケル・クリスティンソンさん。
夫のことを「マイちゃん」と呼んで可愛がっているそうです。
病気から復帰できたのは、このマイちゃんの支えが大きかったのでしょう。
現在の生活
現在は、歌手活動に復帰し、昨年5月に所属事務所の勧めでボイストレーニングをはじめているようです。
内藤やす子、よく帰ってきてくれた。あなたの歌声をもう一度聴きたくてずっと待ってましたよ…
https://t.co/Jp8SY9lNIw— 昭和のピン (@okutaka_pin) 2016年2月27日
今年の夏には、12年ぶり新曲を発売する予定です。
今後について、
「下手っぴになったけど、歌への愛は深まったと思う。NHK紅白歌合戦のオファーが来たら、もろ手も両足も挙げて出ちゃう」
と語っています。
まとめ
夫の献身的な看病があったからこそ、病気を治して歌手復帰できたのでしょう。ハスキーボイスが特徴的な内藤やす子さんの声を待ち遠しくしているファンが大勢いると思うので元気になった姿を見せてほしいですね。