スポーツ・ノンフィクション作家として活躍していた佐野正幸さんが今月21日に死去していたことがわかりました。
死去については、佐野正幸さんの息子、可永夢(かなむ)さんがFacebookでメッセージ発表していました。
メッセージの内容
「父がいつもお世話になっています。
正幸の長男の可永夢です。突然のお知らせで申し訳ありません。
父正幸は、本日3月21日午前4時頃不整脈により他界致しました。…
昨日の夜に北海道から帰宅し、その時にはまだ元気に話をしていたのですが、あまりにも急な出来事でした。
63歳と短い人生でしたが、皆様に支えられながら素晴らしい一生を送れたのではないかと思います。
これまで父と少しでも関わって頂いた皆様に、家族一同心より感謝しております。
父もとにかく人と関わりを大事にする人でしたので、皆様に多大な感謝をしながら他界していったと思います。
本当にありがとうございました。」
佐野正幸の死因は不整脈
息子さんのメッセージにも書いてありますが、死因は不整脈のようです。
不整脈とは
脈がゆっくり打つ、速く打つ、または不規則に打つ状態を指し、脈が1分間に50以下の場合を徐脈、100以上の場合を頻脈といいます。
不整脈の種類は、細かいものまで含めると約2000種類あります。
心臓の下部で起こる心室細動や心室頻拍(ひんぱく)で、突然死に結びつくことがあります。
佐野正幸さんの死因となった不整脈は突然死に結びつくものだったのでしょう。
プロフィールと作家の経歴
佐野正幸を知らない人のために、プロフィールも紹介します。
氏名:佐野 正幸
生年月日:1952年5月22日
出身地:北海道札幌市
最終学歴:神奈川大学卒
職業:作家
中学2年生のときに当時 阪急ブレーブスの監督だった故西本幸雄監督の紹介で大学卒業後、近鉄百貨店東京店に就職します。
その後、本業の仕事をしつつ、近鉄バファローズ応援団長として活動します。
1998年の退職をきっかけに、作家としての活動をスタートさせます。
野球の知識を活かし、野球に関する多くの著書を発表しています。
主な著作
- 『1988年「10.19」の真実:平成のパリーグを変えた日』
- 『もうひとつの「江夏の21球」:1979年日本シリーズ近鉄vs広島』
- 『野球狂の応援歌:パ・リーグのスタンドとともに歩いた40年』
- 『あの頃こんな球場があった:昭和プロ野球秘史』
- 『パ・リーグどん底時代:激動の昭和48年』
ネットの声
佐野正幸さんは札幌生まれなんだよね。あの世代、北海道民は猫も杓子も読売ファンだらけの世の中で、異端を自覚しながら「好き」を貫き通したまさにパ・リーグファンの鑑。二~三世代下の私らでさえパ・ファンは変人扱いされたんだもの、よっぽど苦労されてたんだろうな、と察するに余りあるわけで。
— D_D (@D_D_0) 2016年3月22日
昨日お亡くなりになったパ・リーグファンのスポーツライター・佐野正幸さんは、近鉄、そしてパ・リーグからの視点で、巨人(率いるセ・リーグ)の横暴を戦い続けた人。亡くなった翌日に、巨人・高木京介に対するおかしな処分。怒りというより残念な気分。佐野さんが生きてたら何を言っただろう。
— スージー鈴木~新刊『1979年の歌謡曲』 (@suziegroove) 2016年3月22日
おはようございます。悲しいお知らせです。作家の佐野正幸さんが亡くなられました。
つい最近まで活発に活動されてたようです。残念ですが心よりご冥福をお祈りいたします。パ・リーグを本当に愛してくれてましたね!ありがとうございました。— 佐野 慈紀 (@shigekisano) 2016年3月21日